2019年12月、大分県竹田市と熊本県熊本市へ行ってきました。
岡城(竹田城)とは
大分県竹田市にある岡城(おかじょう)は梯郭式山城で、臥牛城(がぎゅうじょう)、竹田城(豊後竹田城/ぶんごたけたじょう)とも呼ばれています。川に挟まれた海抜325mの台地に建つ城は、難攻不落の天然の要塞でしたが、立地から台風や地震、火事などの被害を多く受けてきました。
明治の廃城令によって廃城となりました。現在は石垣のみ残っていますが、国の史跡に指定され、日本100名城、日本さくら名所100選にも選ばれています。
岡城入り口から大手門まで
岡城入り口から大手門まで歩いてきました。
眼下に歩いてきた道が見えています。
三の丸
美しい「三の丸高石垣」
大手門からさらに歩き、三の丸近くまでくると美しく高い石垣が見えます。
岡城といえば、この美しい曲線が重なる石垣が有名で、100名城のスタンプのデザインとしても使われています。
雲の隙間から光がさし、素晴らしい景観となりました。切り立った場所にあるので、撮影時には足元に注意が必要です。
太鼓櫓
時刻と非常時を知らせる太鼓が置かれていたという「太鼓櫓」まで来ました。
太鼓櫓の石垣は他と違い、加工され形の整った石が隙間なく積まれた切込み接ぎになっています。
三の丸跡
太鼓櫓を抜けると周囲を石垣に囲まれた三の丸に出ます。
三の丸は他藩の使者や家臣が藩主と対面する場として使われていたと考えられているそうです。
紅葉の時期は美しいに違いないと思える眺めでした。
三の丸からは石垣に囲まれた二の丸が見えています。二の丸へ向かいます。
二の丸
二の丸は北方向に張り出したL字型の地形の上に建っています。
この場所は望楼が設けられた月見櫓や風呂屋など和やかな遊興の場であったと考えられています。
三の丸方面を見ると、先ほど撮影をした場所が見えます。切り立った崖の上に石垣が建っていることがわかります。
瀧廉太郎像
二の丸に建つ銅像は作曲家 瀧廉太郎像です。
少年時代を父の故郷である大分県竹田市で過ごした瀧廉太郎は、荒れ果てた岡城で遊んだ記憶が強く残っており、そこから名曲「荒城の月」のイメージを得たと伝えられています。
「荒城の月」「箱根八里」や「花」など数々の名曲を残し、肺結核のため23歳で夭折した瀧廉太郎はこの大分の地に眠っています。
この像は台座にも美しく細かい彫刻がされています。瀧廉太郎と直入郡高等小学校の同窓であった彫塑家 朝倉文夫の作品です。
同じ像が東京・上野公園にある旧東京音楽学校奏楽堂(重要文化財)の前、瀧家ゆかりの地・大分市日出町にあります。
二の丸休憩所
二の丸にはかつて、2階建ての建物で、2階部分が本丸と階段で結ばれた風呂屋があったそうです。
この休憩所も階段で2階へ上がると本丸跡へ行くことができます。
休憩所を通らず、階段で本丸跡へ行くこともできます。
岡城(公式HP/日本100名城)
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