2015年3月、京都と姫路へ行って来ました。
国宝 姫路城
大天守 内部
姫路城入口から続く長蛇の列に並び、いよいよ天守閣の中へ入ります。
通常期であれば、一階ずつゆっくりと見学ができるのかと思いますが、この日は入場規制が出るほど混雑していたので、なるべく止まらずに最上階まで上るよう指示がありました。
西大柱
姫路城の大天守を支える大きな柱は東西に1本ずつあり、地階から5階の天井までを貫いています。
西側の大柱から入りました。前の人に続いて急な階段を上ります。
途中の階層には鉄砲や槍などが掛けられるように壁一面に武具掛がありました。
大天守 最上階(6階)
大天守の最上階まで登ってきました。
部屋の中央に柱はなく、長壁神社が鎮座しています。長壁神社はこの姫路城内と射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ 公式HP)総社境内にあり、二社が併存しているそうです。
漆喰
最上階はとても混み合っていましたが、窓から外を見ると屋根の一部に漆喰の色の変化を見ることができました。
手前は修復後で真っ白。奥に行くほど色は黒くなり、厚みも減っているのがわかります。
漆喰は年月を経て劣化・変色していくので、真っ白の状態を見ることが出来るのは修復後の今だけであることを改めて感じました。
真新しい漆喰はこんなに厚みがあります。
鬼瓦は官位を表す大きな五七の桐紋、紋瓦は現在の姫路城を築城した池田家の家紋である「揚羽蝶(あげはちょう)」でした。
大天守から見た姫路駅方面
三の丸広場の先に真っ直ぐ駅まで大手前通りが続いているのが見えます。
しゃちほこの鯱(しゃち)とは、姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に空を向き、背中にはいくつもの鋭いとげを持っているという想像上の動物で、鬼瓦と同様に守り神とされています。
西の丸
ここからは西の丸長局(百間廊下)と化粧櫓が見えました。
西の丸は徳川二代将軍秀忠と江の長女として生まれた千姫のためにつくられたものです。
豊臣秀頼の正室であった千姫は大阪城落城の際に救出され、1616年本多忠刻の正室として再婚。翌年、忠刻の父 本多忠政が姫路城主になり、以後約10年間をこの姫路城で過ごしました。
備前丸
大天守の石垣の真下に位置する広場「備前丸」まで下りてきました。
ここには城主が居住する本丸御殿がありましたが、明治15年の火災で焼失しました。
約15mの石垣と外観5重・内部は地下1階・地上6階で約31mもある大天守を見上げることができます。
雨が直接あたるため石垣の下の方は変色しているのだそうです。
あいにくの雨模様と大混雑のため、今回は大天守だけを見学しました。
西の丸や日本庭園 好古園などは次回来たときの楽しみにします。
三の丸広場まで来ました。
白くかすんでしまっていますが、天気が良ければ青空に映える白鷺城が綺麗に見えると思います。
姫路城(公式HP)
投稿時より約2年前の旅行記のため、情報に変更のある可能性があります。
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