2013年12月年末、名古屋へ行って来ました。
名城線 市役所駅
犬山城から移動してきました。
地下鉄名城線 市役所駅で降り、名古屋城へ向かいます。
名古屋城
大阪城、熊本城とともに日本三名城に数えられる名古屋城は1610年に徳川家康が築城しました。
関ヶ原の戦い以降、戦(大阪の陣)に備えていた時期でもあり、攻撃にも守りにも強い城を造りました。
堀と石垣は天下普請として北国・西国大名 (多くは豊臣恩顧の大名)に造らせ、財力と労力を削ぎました。
名古屋城二の丸にある「清正公石曳きの像」
高度な技術を必要とする天守台の石垣は築城の名手として知られる加藤清正(豊臣秀吉の親戚)が築きました。巨石を運ぶにあたり、清正公自ら石の上に乗り音頭をとったと伝わるそうです。
門から城内へ入ります。
本丸御殿
本丸御殿は1615年 初代城主が居住する場所として建てられましたが、1620年(元和6年)以降、将軍上洛時の御成専用となりました。そのため大変豪華な造りになっています。
残念ながら空襲で焼失しましたが、図面や写真はたくさん残っていたため、ほぼ忠実に復元できるそうです。
- 1945年(昭和20年)空襲で焼失
- 2009年(平成21年)1月 復元工事着工
- 2013年(平成25年)5月下旬 第一期の一般公開(玄関と表書院)開始
- 2016年(平成28年)6月上旬 第二期の一般公開(対面所と下御膳所)開始
- 2017年度(平成29年度)工事完了
- 2018年度(平成30年度)全体公開予定
(追記)
2018年(平成30年)6月8日 完成公開(公式HP)
今回は第一期で公開されている玄関と表書院、修復中の本丸御殿の屋根を見学できました。
玄関
玄関 車寄
唐破風(からはふ)の屋根の建設は当時 将軍家と身分の高い一部の大名だけに許されていました。
漆を塗った上に金箔を施す豪華な装飾がされています。
玄関「竹林豹虎図」
玄関とは来訪者が必ず通る場所で、取り次ぎを待つ待合室のような役割を果たしていました。
玄関には2つの間があり、この一之問は18畳もあるそうです。
邪気を払うと言われる威圧感のある勇猛な虎が描かれています。
二之間の玄関は28畳もあります。
一之問同様にふすまに虎が描かれており、その隣には豹が描かれています。
実物の虎や豹を見たことがない江戸時代当時は「豹は雌の虎」と考えられていたそうで、母親の虎(雌の虎)として豹が描かれています。
子供の豹も描かれています。
表書院「花鳥図」
正規の謁見に用いられた大広間と呼ばれる場所で、上段之間(15畳)・一之間(24畳半)・二之間(24畳半)・三之間(39畳)・納戸之問(24畳)の5部屋があります。
それぞれの間で異なる季節の草花・鳥(動物)が描かれています。
夏 「麝香猫図」
三之間(39畳)
秋冬「松楓禽鳥図」
二之間(24畳半)
春「桜花雉子図」
一之間(手前の間 24畳半)
「松竹禽鳥図」
上段之間(15畳)で、格式の高い折上小組格天井の部屋です。
本丸御殿の屋根
※平成29年7月2日(日)をもって見学は終了しました。
焼失前の本丸御殿の屋根のほとんどは瓦を使った桟瓦葺(さんかわらぶき)でしたが、創建当初は日本の伝統的手法である柿葺(こけらぶき)だったそうです。
柿葺(こけらぶき)は木材の薄板を並べて施工する方法で、金閣寺の屋根もこの工法で造られています。
現在復元中の本丸御殿は創建当初の姿を再現するそうで、その工事を見学することが出来ます。
修復しているこの時期しか見学できない場所なので、入ってみました。
工事現場なので、内部ではヘルメットを着用します。
復元工事全体を見渡すことができる高さ約9メートルの見学通路を歩くことが出来ます。
この日は見学者は少なく、伝統的な木造建築の作業をゆっくりと眺めることができました。
名古屋城 本丸御殿(公式HP)
投稿時より約3年半前の旅行記のため、情報に変更のある可能性があります。
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