2025年9月、長崎県 長崎市・島原市へ行って来ました。
島原武家屋敷通り
島原城の築城にあわせて、城の西側外郭に扶持取70石以下の下級武士たちの屋敷街が整備されました。
上新丁・下新丁・古丁・中ノ丁・下ノ丁・江戸丁・新建といった街並みが形成されましたが、その中でも下ノ丁の町並みのみが、「武家屋敷町並み保存地区」として指定され、現在も昔ながらの姿が大切に保存されています。
鉄砲町 街なみ保存地区
島原城から徒歩10分ほどの距離にある「鉄砲町」は、かつて鉄砲隊や足軽など中級武士が暮らしていた武家屋敷街です。隣家との間に塀がなく、鉄砲の筒をのぞくように屋敷が一直線に見渡せたことから、「鉄砲町」と呼ばれるようになったと伝わります。

この「武家屋敷町並み保存地区」は、全長約406.8メートル、幅約5.6メートルの町並みが続いています。

現在も一般の住宅が並ぶ生活道路ですが、地域住民の方々の協力によって大切に保存されています。

武家屋敷の石垣の上に見られる丸い小石は「こぼれ石」と呼ばれ、防犯のために積まれていたものです。
侵入者が登ろうとすると石が転がって音が鳴り、非常時には投げて武器にもなったといわれています。

現在は多くが固定されていますが、長崎県内の武家屋敷などでその名残を見ることができるそうです。

武家屋敷
島原城の西に上新丁、下新丁、古丁、中ノ丁、下ノ丁、江戸丁、新建といった街並みが形成され、約700戸が軒を連ねていました(下記写真内、右の地図)。
現在は、下ノ丁にある山本邸・篠塚邸・鳥田邸の3軒(赤枠)が無料で公開されています。

一軒あたり三畝(約90坪・約300㎡)に区切られ、住居は25坪ほどの藁葺き屋根の質素な造り。敷地内には果樹が植えられ、果物は自給できる暮らしだったそうです。

江戸時代の武家の暮らしを垣間見ることができます。
鳥田邸
鳥田家は松平藩主草創期から仕えた由緒ある家柄で、寛文9年(1669年)に島原へ移りました。
代官や郡方物書などを歴任し、幕末には材木奉行や宗門方の加役、船津往来番といった重職を務めました。

2020(令和2)年春に茅葺きの屋根の吹き替えが行われたそうです。

屋敷の内部は一般公開されており、実際に中へ入って見学することができます。
間取りや道具から、当時の人々がどのような暮らしをしていたのかを感じることができます。

篠塚邸
この屋敷に住んでいた篠塚家は、代々「順右衛門」を名乗り、祖先は三河(現在の愛知県)出身です。

1669(寛文9)年、松平忠房が丹波福知山から島原藩主として入封した際、三河時代からの家臣として随行し、島原へ移り住みました。

明治初期まで11代にわたり続き、主に郡方祐筆(書記)や代官などを務める家柄だったそうです。

山本邸
山本家の初代・左五左衛門(佐五左衛門)は、松平藩主が三河時代からの家臣で、藩主の移封に従い島原へ移り住みました。
他の屋敷にはないこの立派な門構えも、藩主から特別に許されたものだそうです。

代々、砲術師範として藩の重職を務め、幕末まで約13代にわたり城主に仕えた名家です。

屋敷の内部は、透かし彫りの欄間があり、他の2つの家よりも豪華な造りに感じました。

町筋の中央を流れる清らかな水路は、約2km北にある杉谷の温泉熊野神社(熊野神社)の湧水を水源とし、江戸時代には飲料水として利用されていました。当時は「水奉行」が置かれ、厳重に管理されていたそうです。

水がとても綺麗で驚きました。
400年近く清らかな流れを保つ「水の名所」です。

まとめ
島原武家屋敷通りは、静かに流れる水路と整然と続く石垣や生垣が美しい場所でした。
通りの中央を流れる清らかな水路に沿って散策できるのも大きな魅力で、水のせせらぎを聞きながら散策ができました。

派手さはありませんが、その分ゆったりとした時間が流れていて、島原らしい落ち着いた風情を味わえる散策スポットでした。
島原武家屋敷通り



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