2023年7月 三重県 伊勢・鳥羽へ行ってきました。
賓日館(ひんじつかん)とは
賓日館(ひんじつかん)は、1887年(明治20年)に伊勢神宮に参拝する賓客の休憩宿泊施設として建築され、明治末期~大正初期と昭和初期の2回の大増改築を経て現在の形になりました。
歴代諸皇族、各界要人が数多く宿泊され、1911年(明治44年)2月には隣接する二見館(三重県初の政府登録国際観光ホテル)に払い下げられ、二見館の別館として利用されていました。
1999年(平成11年)の二見館の廃業後、2003年(平成15年)に二見町に寄贈されました。1997年(平成9年)に国の重要文化財に指定され、現在は資料館や貸展示場として一般公開されています。
国指定重要文化財「賓日館」
賓日館(ひんじつかん)は、二見興玉神社から徒歩で3分ほどのところにあります。
正面玄関
昭和5年から始まった大増改築で正面玄関の屋根は、城の御殿の入口にも良く使われている格式のある形「唐破風(からはふ)屋根」になりました。
伊勢志摩地方では、注連縄(しめなわ)を1年を通して飾る風習があるそうです。
正面玄関では木彫りの猫がお迎えをしています。
現在この正面玄関は利用されていません。
正面玄関脇にある出入口から入り、入館料(公式HP:ご利用案内)を支払います。
旧客室
1階の一番奥の部屋「寿」の間です。
中庭が一望できる明るいお部屋で、明治20年の創建当時から構造は変わっていません。
昼と夜の夫婦岩が描かれた貝合わせ(貝アート)が飾られていました。
更に奥へ行くと廊下を挟んで両側に3室ずつ、計6つの客室「桜」「梅」「松」「紅葉」「鶯」「鶴」が並んでいます。
二見館(三重県初の政府登録国際観光ホテル)だったころは、鍵付きのドアが設置されていたそうで、今も壁に跡が残っています。
館内の照明はどれもオリジナルのオーダー品ばかりです。
千鳥は二見館のシンボルマークで、館内のいたるところで見ることができます。
現在、旧客室6室と中広間2室は、会議室および展示室として利用できます。
畳敷きの廊下です。大きなガラス戸越しに枯山水の庭園を眺められます。
渡り廊下(太鼓橋)
2つの中庭を挟み、橋がかかっています。
現在は安全に配慮した平坦な床になっていますが、かつては太鼓橋がかかっていたそうです。両端にある擬宝珠(ぎぼし)や欄干はその名残です。
資料室
いくつかある資料室では二見浦の歴史や賓日館で使われてきた宿の調度品、古文書、看板類を展示しています。
資料室のひとつに旅館の中枢であった帳場があります。帳簿机の上には硯箱、銭箱等が置かれています。
周りには書類や帳簿、お金などを入れておくたくさんの引き出しの付いた帳簿箪笥があります。
階段で2階へ
階段で2階へ上ります。階段の柱には二見蛙(板倉白龍作)が彫られています。
蛙たちは下の楠の親柱そのものに彫られています
階段を上ると、美しい寄木細工の踊り場に出ます。
床に寄木細工を施す工法は「寄木張り」と呼ばれるそうです。
翁の間
2階の最初の部屋が「翁(おきな)」の間です。
明治から大正時代にかけて造られた部屋で、天井は格天井になっています。
20畳と48畳の2部屋からなる中広間(68畳)です。創建当初は大広間として利用されていました。
御殿の間
二重格天井、輪島塗に螺鈿が装飾された創建当時のまま残る豪華な造りです。
2階からは二見浦を借景とした広い庭園が一望できます。
大広間
1階の階段下には旅館時代の案内灯が今も残っています。レトロで味があります。
桃山式折上格天井の120畳式の大広間は、能舞台が設けられ、電灯にはシャンデリアが使われています。
現在もコンサート等に利用されていて、
この日は地元の方々の琴の練習会として利用されていました。
庭園
「回遊式庭園」読んで字の如く園内を回遊して鑑賞する庭園のことです。
砂利道が敷き詰められ、美しい庭園は自由に散策できます。
丁寧に管理されており、この日も植木屋さんが手入れをしていました。
庭園も含めて日本の伝統的な美しい造りです。
建築がお好きな方、日本庭園がお好きな方におすすめです。
賓日館(公式HP)
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