2016年12月、北陸新幹線に乗って金沢に行って来ました。
金沢城(金沢城公園)
玉泉院丸庭園の石垣を見ながら階段をのぼり、三十軒長屋まできました。
三十軒長屋
三十軒長屋は幅約5m、長さ約70mの2階建の土蔵で、国の重要文化財に指定されています。宝暦の大火(1759年)で一度焼失し、安政5(1858)年に再建されました。
大火前は食器などを、再建後は武器・弾薬を収めていたと言われています。
金沢城公園の本丸園地の森を歩きます。
昭和24年から平成7年まで金沢城公園には金沢大学のキャンパスがありました。
この本丸園地は金沢大学理学部の付属植物園として学術研究の場であったため、このような自然のままの状態を守ることができたのだそうです。
本丸跡
森の中にひっそり本丸跡の看板があります。
天正14(1586)年頃に天守閣を設けたと伝わっていますが、慶長7(1602)年に落雷による火災で本丸にあった建物は天守閣を含めほとんど焼失しました。大火以降、天守閣・本丸御殿は再建されず、二の丸御殿に金沢城の中心が移りました。
辰巳櫓跡
本丸跡を過ぎ、しばらく歩くと辰巳櫓跡があります。
本丸の東南角・辰巳の方角に当り、長屋を備えた立派な櫓が建っていたそうです。
宝暦の大火(1759年)で焼失し、以降再建されませんでした。
辰巳櫓からは、手前にいもり堀、遠くに金沢21世紀美術館のモニュメントが見えています。
丑寅櫓跡
辰巳櫓跡から石川門方面に向かってしばらく歩くと、丑寅櫓跡があります。
本丸の北東角・丑寅の方角にあった櫓跡で、物見や本丸の防御のために使用されていました。
宝暦の大火(1759年)で焼失し、以降再建されませんでした。
丑寅櫓からは、兼六園の茶店通り(江戸町通り)や奥の山々まで見渡せます。
鶴丸倉庫
幕末の1848年に建てられた2階建ての武具土蔵で、重要文化財に指定されています。
明治以降、金沢城は旧陸軍の所管となり、ここは軍の被服庫として使用されていたそうです。
レンガ造りのトンネル
鶴丸倉庫から坂を下ってくると、金沢城の石垣には不釣り合いなレンガ造りのトンネルが見えてきます。
旧陸軍が弾薬庫を建設した際に作られたトンネルだそうです。
戌亥櫓石垣
本丸の北西角・戌亥の方角に当り、この石垣の上に二層の櫓が建っていました。
宝暦の大火(1759年)で焼失し、以降再建されませんでした。
石垣は粗加工石積み(あらかこういしづみ)ですが、切石積み(きりいしづみ)のような石の切り方・積み方もしており、技術の高さが伺えます。
ぐるっと一周して、最初の三十軒長屋近くまで戻ってきました。
ここから二の丸広場へ向かい、昨日見学したところを再度見ていきます。
金沢城公園
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