2024.04 大阪府・奈良県旅行記(国内)

万博記念館「EXPO’70 パビリオン(万博記念公園内)」

太陽の塔 EXPO’70 パビリオン 2024.04 大阪府・奈良県
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2024年4月、大阪・奈良へ行って来ました。

EXPO’70 パビリオン

EXPO’70 パビリオンは、1970年に開催された日本万国博覧会(大阪万博)の記念館として、2010年(平成22年)3月にオープンしました。太陽の塔から少し離れた場所にあります。

1970年当時の出展施設「鉄鋼館(紹介HP)」を改修して利用しています。

太陽の塔 EXPO’70 パビリオン
太陽の塔とは別に入館料が必要です

スマホケースをレンタルすると、EXPO’70 パビリオン全館内の撮影が可能になります。
「太陽の塔」か「EXPO’70パビリオン」のどちらかで一度手続きし、返却時に受け取った引換券を利用すると、もう一つの施設でも当日に限りスマホケースが利用できます。

mico
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受付で同意書を提出して、レンタルします。1回のレンタルで、2か所で利用できます。
EXPO’70パビリオンはブルー、太陽の塔はオレンジのストラップでした。

太陽の塔 EXPO’70 パビリオン
太陽の塔で受け取った引換券でレンタルしました

まずはEXPO’70 パビリオン別館から見学しました。
「黄金の顔」の展示や映像で当時を体感できるゾーンなどがあり、2023年8月より一般公開されています

太陽の塔 EXPO’70 パビリオン
別館へは本館の見学ルートからのみ入場できます

未来を表す「黄金の顔」

大阪万博開催時に太陽の塔の頂部に設置されていた「黄金の顔」です。

スチールに亜鉛メッキをした鋼板に当時の最新技術であった塩化ビニール製マーキングフィルムが貼られているそうです。
風雨による劣化の恐れがあったため、改修工事の際に取り外し交換しました。

太陽の塔 EXPO’70 パビリオン

未来を象徴する「黄金の顔」。直径が10.6mあり、目の直径だけでも2mあります。

太陽の塔 EXPO’70 パビリオン

顔の真下にも入りこむことができ、間近で見学することができます。

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近くで見ると、かなり迫力があります

太陽の塔 EXPO’70 パビリオン

生命の樹の展示物

太陽の塔を貫く華やかな「生命の樹」の幹や枝には、生命の進化の過程をあらわす様々な種類の生物模型が取り付けられています。

生命の樹についている展示物(模型)を間近に見ることができます。生命の樹の模型は当時のものを修復したものも多くあります。

太陽の塔 EXPO’70 パビリオン

「オルトセラス・ベルキドウム」と「キルトセラス・アクリオ」
細い貝殻にイカのような風貌ですが、絶滅した軟体動物「チョッカクガイ」と呼ばれる種のひとつだそうです。

太陽の塔 EXPO’70 パビリオン

大阪万博当時のトラコドン(写真右)は行方不明だそうで、この展示のトラコドンは万博後に作られたものだそうです。現在の生命の樹のトラコドンは、これをモデルに造られています。

太陽の塔 EXPO’70 パビリオン

スペース・シアター

鉄鋼館には万博当時に最先端と言われた音楽堂「スペース・シアター」があり、1008個もあるスピーカーから流れる音楽とレーザー光線によるショーが行われていました。
現在は老朽化のため、ガラス越しの見学のみになっています。

太陽の塔 EXPO’70 パビリオン

ペーパークラフト

大阪万博の会場を300分の1のスケールで再現したペーパークラフトです。

太陽の塔 EXPO’70 パビリオン
広大な敷地だったことがわかります

万博博覧会当時は、太陽の塔の周囲に鉄骨の巨大な屋根があり、その屋根を太陽の塔が貫いていました。
1977~1978(昭和52~53)年に解体され、屋根の一部は今も記念として残されています。

太陽の塔 EXPO’70 パビリオン

EXPO’70コレクション

EXPO’70パビリオン企画展として、1970年大阪万博を彩った当時のユニホームを公開していました。

太陽の塔 EXPO’70 パビリオン

万博で紹介されたもの

電気自転車

三洋電機が開発した電気自転車を緊急連絡や取材に備えて報道関係者に貸し出したところ、希望者が殺到しました。
日本で初めて発売されたのは1990年代前半ですが、当時はヘルメットや免許が必要だったことから普及しなかったと言われています。

太陽の塔 EXPO’70 パビリオン

電気自動車

会場内の公共機関の一つとして活躍した電気自動車は「未来の乗り物」として登場しました。
来場者用のタクシー、プレスカー、パトロールカーとしても使われていました。

太陽の塔 EXPO’70 パビリオン

ワイヤレステレホン

日本電信電話公社(現NTT)が手がけた電気通信館で携帯電話の原型となった「ワイヤレステレホン」が展示されました。「夢の電話」とも呼ばれました。

太陽の塔 EXPO’70 パビリオン

缶コーヒーなど

そのほか この万博で紹介されたことがきっかけで、普及したものも多くあります(下記は一例)。

  • 缶コーヒー(UCC上島珈琲)
    万博前(1969年)に発売されていましたが、この万博会場で飲んだ人々から注文が殺到し、爆発的に売れるようになりました。
  • プレーンヨーグルト
    ブルガリア館に本場のヨーグルトがあると明治乳業のスタッフが聞きつけ試食にいき、開発の契機となったそうです。1年後、日本初のプレーンヨーグルトとして「明治ブルガリアヨーグルト」が広まりました。
  • フランスパン
    この万博会場でフランスパンが売れ、フランスパンの名前が全国に広まりました。
  • 動く歩道
    1967年に大阪梅田駅に最初に設置されました。万博でも会場内の輸送を担い、全国に知られるようになりました。
  • ローカルエリアネットワーク(LAN)
    日本で初めて大がかりな情報通信システムを完備し、入退場数チェック、駐車場の誘導、迷子探し、探し物の検索などの情報サービスを担いました。
  • ウルトラソニックバス
    流線形のカプセルの中の人をジェットバスのように泡が噴射して全身を洗う通称・人間洗濯機。未来の健康美容浴槽として注目されました。
    2025年開催の大阪・関西万博でも「ミライ人間洗濯機」が紹介される予定だそうです。
太陽の塔 EXPO’70 パビリオン

EXPO'70パビリオン(公式HP

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